助産師が仕事を辞めて健康と自由を手に入れた話

助産師の日常

新年 あけましておめでとうございます!

お久しぶりです。中堅助産師のLisaです。

新年早々に不穏なタイトルですが、文字通り仕事を辞めました

しかも最近の話ではなく、正式に辞めてからすでに半年以上が経っています(笑)
2023年の春に意気揚々とブログを開設した私でしたが、その頃から仕事が激務を極めてしまい、更新する余裕なんて微塵もなかったです。ほんと、これっぽちの余裕もなかったです。

看護職界隈といわず、社会人をやっていれば必ずブチあたる中堅スタッフの苦悩がそこにはありました。(大袈裟)
同世代の方、同業で同じ悩みを持つ方、これから社会人になる方、こんな退職理由や辞め方もあるんだな〜とゆるく読んでもらえたらと思います。


はじめに大前提として、私はアラサーの中堅助産師で、産婦人科クリニックの病棟で働いておりました。転職してから丸3年を迎えようとしていた頃で、役職なんぞついていません。ただの平社員です。常勤あるある、委員会や係なんかは複数兼務していましたが。

想定外のライフイベントでも起こらない限り辞める予定のなかった私が、我慢の限界を超えて退職届を郵送するまでに至った経緯をざっくりと書いてみますね。


アラサー助産師が退職を決意した3つの理由

理由①ブラックな職場とハラスメントの横行

いきなりの大直球。だけど辞めるには十分な理由でした。

ベッド数に全く釣り合っていない分娩及び手術件数、それに対する圧倒的なマンパワー不足、日常的なパワハラ・セクハラ・モラハラの三拍子が揃った経営者、日夜勤を問わず未休憩を含む無理なシフト、残業代の未払い etc…

詳細は書けませんが、全てが真っ黒でした。

特に個人(家族)経営のクリニックではよくあることですが、経営実権が院長から副院長(ご子息)に移行してからが本当の地獄でした。例えば…

スタッフ全員が忙しくて昼食どころかトイレすら行けていない状況で、優先度の低い(しょうもない)業務をやれと言われて抵抗したところ、「ウルセェ知るか!俺がやれと言ったらやれ!!」とパワハラの鑑みたいな発言をされましたね。ハハッ
残業が終わってから冷えきった昼食(になるはずだったもの)を立ちながら食べているとき、私たち何やってるんだろうねと同僚と話したことは今でもよく覚えています。割とよくあったこの嬉しくない立食パーティー(笑)

理由②仕事をしない上司

敵が医者だけなら戦うことはできました。敵は身内、看護職の中にもいたのです。
所謂管理職お局と呼ばれる人たちですね。

仕事をしないんだかできないんだか、管理職やリーダーとして全く機能していないだけではなく、責任者としての自覚が全くない人たちでした。

医療現場で度々起こる“ご家族との話し合い”に出席することなく他人事だったり、メンバーが5分も休憩に行けず走り回っているときに食後のコーヒーを啜っていたり。

上司がその役割を果たしてくれないときの絶望、共感してくれる方いますよね???(涙)

理由③気の合う同僚たちとの別れ

こんな職場だったので、支え合ってきた同僚たちも徐々に去っていきました。精神的に病んで休職に追い込まれた子もいます。愚痴をこぼせる仲間がいたときは、まだ踏ん張ることができていたのですが、仲間がいないと人はこんなにも弱くなるんだなと痛感しました。

病棟リーダーをしながら分娩介助やオペの器械出しを数件こなした夕方、「今日も残業か…」とトボトボ前室に向かったところ、未計測の胎盤が5つ取り残されていたときの気持ちといったら…。遠くでは胎盤そっちのけで自分の記録に勤しむ後輩や、何がそんなに楽しいんだか大声で笑いながらお茶菓子を食べている上司やお局が見えるわけですよ。そこに登場したのが、夜勤のため出勤してきた仲良しのAさん。目が合った瞬間に状況を察してくれたのがわかって、ブワッと涙腺が崩壊しました。泣きながら胎盤を計測して、「ごめん先に辞める」と宣言したこの日を私は一生忘れません(笑)

この頃、人生で初めて動悸・不眠・イライラなど、心身の不調を自覚していました。そろそろヤバいかなぁと思いつつ、「今辞めたら一緒に戦ってきた同僚を置き去りに…育成途中の後輩を放り出すなんて無責任…真っ黒野郎やお局たちに場を任せたら患者さんの安全が脅かされる…」と、そんなことを考えながら辞め時がわからなくなっていました。自分自身のSOSに見て見ぬふりをしていたんですね。でもそんな状態では長く保つわけがありません。

結果、心療内科のお世話になることになりました。休職です。

最初はまさか自分が心療内科を受診することになるなんて!とお決まりのセリフをキメてしまった私ですが、同僚Aさんに「まずは休職っていう手もあるよ」「休むことは逃げじゃない」「あの職場にそこまで尽くす義理はない」と言われて、確かに!!と思い直しました。命を燃やして働くか!辞めて逃げるか!の二択しかないほど、自分の視野は狭くなっていたんだなと目が醒めた瞬間でした。

最終的には、療養先(地元)が遠方だったこともあり、形ばかりの退職届を郵送して退職しました。(後日菓子折り持参して挨拶には行きましたけども)


休職・退職してからは、地元に戻ったり旅行したりと、久しぶりにのんびりと過ごすことができました。不思議なもので、職場から離れて朝起きて夜寝るという人間らしい生活に変えただけで、体の調子はたちまち良くなっていきました。お薬も数種類処方されましたが、初期症状で程度も軽かったおかげで、3ヶ月で卒業できました。ただ、今でも前職のことを思い出すと頓服が必要で、人生初めてピルケースを持ち歩くようになりました。もしもの時に備えたお守りです。

今回の件は、経験しなくて済むならそれに越したことはないですが、自分を見つめ直す機会になったとポジティブに捉えるようにしています。自分の限界を知ることもできました。

前職在職中は、患者さんのニーズを感じることはできていたのに、それを行動に移す時間も気力も体力も残っていませんでした。患者さんにだけは努めて優しく接することを意識していましたが、それ以外の人には散々だったなと反省しています。

ストレス社会とはいいますが、それをどの程度感じるか、私生活に影響を受けるか、対処できるかは、人それぞれ違うものです。今までうまくやってきた人ほど、自分の適応能力や限界を過信しがちで、気づいたときには心と体のバランスを崩していたりします。(THE 経験談)
私の場合はAさんの言葉がなかったら、まだあの地獄で働いていたのかと思うとゾッとします。Aさんマジで救いの女神…!余談ですがAさんも退職することが決まり、年末に二人で乾杯してきました(笑)

最後に私が自分の体験から学んだこと、それは、明日は我が身。ということ。

これまで患者さんの既往歴をみて、お仕事大変だったんだなぁ、産前産後のお薬をどうするか主治医に確認してもらわないと、産後のサポートを紹介しておこうかな、なーんて安易に考えていた当時の自分に喝を入れてやりたいです。体験してみないとわからないことって世の中たくさんありますね。

今なら心から言える

今までよく頑張りましたね!!!大丈夫、先のことは一緒にゆっくり考えていきましょう!!!と。そのための助産師ですから。

仕事に限らず、辛いこと悩むこと、たくさんあると思います。気づかないうちに、または気づかないフリをしているうちに、自分ではどうにもできなくなっていることも。

Aさんの言葉通り、休むこと止まること辞めることは、ただ逃げるという後ろ向きなことではありません。むしろ自分を救ってあげた尊いことなんだと私は思っています。実際は前向きでも後ろ向きでも、なんなら右でも左でもいいんですけどね。要は自分が置かれている状況を、客観的に判断できることが大切。

私にAさんがいてくれたように、私の体験談が、これを読んでくださった方の気持ちを少しでも楽にすることができたら幸いです。

長くなってしまいましたが、とりあえず

みんな、今日もお疲れ!!!🍻

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